あさぎり町中部ふるさと会

あさぎり町中部ふるさと会とは
熊本県球磨郡あさぎり町出身者、及び あさぎり町と
係わりのある方々の中部地区での親睦団体です。

あさぎり町中部ふるさと会 新着相談 中部ふるさと会の情報 若人支援会 あさぎり町の紹介

中部ふるさと会の情報

会長あいさつ 会則 役員名簿 行事計画と予算 会員からの投稿欄 ふるさと探訪

続 ふるさと探訪

2018年7月17日

続 ふるさと探訪19 昔懐かしふるさとの味: 酢ダコ・くじら・からし蓮根

7.酢蛸
 紅白のおめでたく色づけされ、甘酸っぱく、歯切れは少々悪いが、噛みしめているといつの間にか喉の奥に収まってしまうのが図7に示す「酢だこ」である。正月や寄合行事には「煮しめ」と同じく、必ず出される人吉球磨地方定番の肴(さかな)である。
 お嫁さんが人吉球磨地方出身の方のプログである。「お正月はカミさんの実家のある人吉・球磨の地方に出かけた。ご馳走の一つが酢蛸、真っ赤に色付けされた酢蛸を最初に見たときはどうして、険しい九州山地の山々に囲まれた盆地のこの地で、何で酢だこがご馳走なのかと驚いた。急流球磨川沿いの険しい道を通らないと海に通じない人吉球磨地方では海のものは一番のご馳走だったのだろう。でも、以前は鮮度を保つことができないので酢でしめたタコが名物になったのではなかろうか」。
19A.png
図7 酢だこ(写真:人吉・池田屋酢だこ)
 筆者もこの方と同じ思いをもっていた。この地方には漁港もなく、海も遠く、どこから酢ダコは持ってくるのだろうと最近まで思っていた。実は、人吉の東漆田町にその生産販売会社があった。その代表、羽月忠寛さんに聞いた酢蛸推奨の弁である。
 「酢蛸がどこまでメジャーであるかは不明ですが、私の取り扱う池田屋の酢だこは、多良木町だけでも数千万円の売り上げです。私の会社のネット通販におきましては、大阪、愛媛、東京、愛知、長野、稀にですが北海道、東北からもご注文を頂いております。酢蛸の蛸は北海道産のミズ蛸ですが、年度によっては青森産に変わることもあります。足一本で1から1.5キロにもなる大ダコです」。
 北海道の根室や釧路の荒波で育った大蛸を大釜で茹で上げ、秘伝の調味液に漬け込んだものだけあって、酢蛸1kgが7,800円(税込)で結構な値段である。もっと安価に、手軽に酢蛸がつくれ、味わえないものかと、筆者は池田屋の酢蛸を偽造してみることにした。
 まず、酢蛸は、市販の刺身用の蛸を買い、角切り昆布や鷹の爪を用意し、蛸とこれらをジップ付きの袋か瓶に入れ、寿司酢を蛸が浸る程度まで注ぎ入れる。蓋を閉じ冷蔵庫に1晩か2晩おけば完成である。長く漬け置くと身が酢でシメがが過剰になり硬くなってしまう。偽造した瓶詰酢蛸を図8に示した。図の左が蒸したタコ足を刺身用にスライスしたもの、2パック分と寿司酢である。これらに角切り昆布や粉砕鷹の爪を瓶詰したものが右である。スライスしたものではなく、タコ足のままブロック状態で漬け込んだものが右端である。タコ足のぶつ切りでも可能である。さて、味であるが、親子三代にわたって伝わる秘伝の調味液に漬け込まれた人吉池田屋の酢蛸には適うはずはない。

19B.png
図8 筆者の無手勝流の酢だこ

8.からし蓮根
 毎年2月の初めに開催される人吉球磨地方からの出身者による懇親会、「くま川会」では決まって「酢ダコ」と「からし蓮根」がテーブルに並ぶ。いずれもふるさとの味であり、わざわざ取り寄せ、味わって貰おうという主催者の配慮からである。
「からし蓮根は熊本名物であるが、子供の頃は食べさせて貰わなかった、食べさせられても、おそらく吐き出していただろう、からし(辛子)が入っていたから・・。だから、からし蓮根は大人になってからのふるさとの味です」と、
人吉出身のペンネーム蓮池さんは、こう語っておられる。人吉球磨地方で「蓮(はす)と言えば、、歌の文句のように、球磨の名所、青井阿蘇神社の鳥居の前に蓮池(図9左)がある。

   ♪球磨で名所は 青井さんの御門(前は 前は)♪
     ♪前は蓮池 桜馬場 よいやさ(ホイサッサ ホイサッサ)♪
 
 これは、「球磨の六調子」の一節であるが、この民謡は、おっとりとして、穏やかな球磨人には似つかわしくなく、激しく賑やかなメロディである。おそらく、南方から持ち込まれた伝承歌であろう。一説には、江戸時代後期の「牛深ハイヤ節」の流れをくむものとされており、この六調子もおそらく江戸時代がその起源である。その頃の青井阿蘇神社前には蓮池があって、蓮根が収穫されていた可能性がある。青井阿蘇神社の蓮池には、梅雨のころから淡いピンクの花が咲きはじめ、初夏を感じさせる景色となる。この青井阿蘇神社の由来については、昨年のふるさと探訪のなかで詳しく紹介したが、創建は伝大同元年(806年)、奈良時代が終わった平安時代の初めの年である。その頃から、蓮池があったかどうかは分からないが、少なくとも、「球磨の六調子」は江戸時代後期からの歌であるから、その頃には蓮池があり、蓮根も食されていたと推測できる。

 熊本におけるからし蓮根の歴史は古く、元祖は江戸時代から18代続く熊本市の「森からし蓮根」とある。しかし、その間には業者壊滅状態を招いた事件があった。昭和59年(1984年)、熊本の「三香」という製造業者が作った真空包装のからし蓮根によってボツリヌス菌による集団食中毒事件が発生し、36名が中毒症状をおこし、うち11名が死亡した。この事件以前には、熊本県内には100社もあったが、事件以後は風評被害によってほとんどの店が廃業した。
 からし蓮根の作り方を「森からし蓮根」のHPから紹介しよう。原材料となる生蓮根は、主として西日本産の蓮根『ジャポニカ』を利用し、それを茹でることから始まる。茹で方によって食感が変わるので、職人の腕の見せ所だそうである。次に、味噌とからしを合わせて作り、蓮根の穴に詰める。図9の中央がその様子である。辛めのからし味噌するか、甘めのものにするか、各店の特徴となるそうで、その配合と製法は一子相伝として代々受け継がれているとのことである。最後は揚げる工程で、卵に小麦粉、クチナシ色素などを水で溶いた衣をつけて揚げると出来上がりとなる(図9右端)。
19C.png
図9 青井阿蘇神社前の蓮池、からし味噌詰め、(写真:森からし蓮根HP)

9.冷凍のミくじら
焼酎飲みには欠かせず、忘れられないのが「冷凍身くじら」(図8の中央)である。卓に出されて食べるころ、冷凍がとけ出し、赤い血も少し滲み出てくるころ、少し凍った状態のくじらが熱燗の焼酎にはよくあう。「冷凍身くじら」だから「れいみ」と言うのだそうだが、筆者は知らなかった。この刺身用冷凍身くじらは、クジラの背肉や腹肉などの脂肪の少ない赤身肉の部位で、生産量の三分の一以上を占めるそうである。かつての学校給食の鯨カツや竜田揚げにも供給された。
図10の左は塩クジラであるが、人吉球磨地方のオカズとして、肴(さかな)として、タンパク質源としても最高の保存食であった。とにかく塩辛かったことだけは今でもはっきりと覚えている。
ある長崎の鯨愛好家のプログである。「長崎で塩くじらと言えば、鯨の畝須(うねす)を塩漬けしたものです。福岡で塩くじらと言えば、鯨の赤肉(赤身)を塩漬けしたものです。長崎には馴染みの無い、赤肉の塩くじらを食べてみました。この塩くじら(塩赤肉)は、福岡県田川市などの「筑豊地域」や北九州の炭鉱の
町で働く男達の貴重な塩分補給、タンパク源として文化が栄えたそうです。これは、ヒゲ鯨類のミンク鯨を使ってます。塩が吹くまで焼いて、お湯に浸して塩抜きをします。ご飯のお供、お茶漬けにすると、なかなか香ばしくピッタリです」。 

筆者の妻は、ときどき、お宅のご主人は九州の方ですか?と聞かれるたことが
あるそうである。くじらを買ったときである。くじらといっても、塩鯨や冷凍身くじらではなく「ベーコン」や「おば雪」を買ったときである。「おば雪」は東京では「さらし鯨」などと呼ばれているもので、鯨の尾の部分の肉を塩漬けにして薄くスライスして湯通ししたもの、からし酢味噌などでたべるのだが、筆者は好物である。
19D.png
図10 塩クジラと冷凍クジラ
九州では、なぜクジラが売られ、よく食べられるのか、海から遠い山間地の人吉球磨地方で、なぜ海の幸のクジラがたべられるのか確かに不思議であったが、これにもやはり訳があった。江戸時代、長崎の出島が日本で唯一の外国との窓口だった頃、長崎の町には全国から多くの人たちが集まり賑わっていた。しかも、当時、九州地区のクジラはすべて大村湾にある東彼杵(ひがしそのぎ)に水揚げされ、そこで解体されたものが九州各地へと運ばれていったのだそうである。長崎の鯨食文化もそのまま伝承されたというわけである。
(つづく:次回は、ナマス、かぶと煮、どぶろく)

                     19E.png

19F.png

杉下潤二 junji@siren.ocn.ne.jp

  • 若人支援会
  • あさぎり町の紹介
  • 中部ふるさと会の情報
  • 会長あいさつ
  • 会則
  • 役員名簿
  • 活動計画と予算
  • 活動報告
  • 児童生徒就学支援
  • 会員からの投稿欄
  • ふるさと探訪
  • 町名の由来は秋から春にかけて球磨盆地にしばしば発生する朝霧から。
ページの先頭へ
あさぎり町中部ふるさと会HPの著作権
©2007 あさぎり町中部ふるさと会 All Rights Reserved.  ホームページ作成  bit,SEO.